<節目の年の幕開けに日本のモノづくり企業の70年を俯瞰的に振り返りました>
鈴木洋三
あけましておめでとうございます。
今年は戦後70年を迎える節目の年でもありますので、今年の正月は筆者流に戦後のモノづくり企業の変遷を大きく3つの期間に分けて振り返ってみる事と致しました。
・「日本の復興期」
終戦から1970年(ニクソンショックの前年)までの25年と考えました。
戦後の焼け野原から驚異的スピードで日本の復興を成し遂げ'69年には世界第2位のGDP大国に押しあげる事が出来た要因は、米国を始めとした先進工業国に追いかけるべきモデルと技術が見えていた事、360円/$と云う固定為替市場であった事などを背景に、我々の先輩がモノ不足の時代にあって、その技術とのCommunicationを通して、"良き品質を実現しリーズナブルな価格で"世界マーケットに供給しようと試みた不断の努力にあったことは異論のないことであり、その先人達の努力やこれを支えた家族たちの血と涙の苦労に正に頭の下がる思いです。
映画「ALWAYS3丁目の夕日'64」を御覧に成られて当時を思い出された諸兄も多い事と推察いたしております。筆者は'70年の入社ですが就職した会社の正門にも「輸出貢献企業」の金文字の看板が掛けられていたことを思い出します。
・「日本の成長期」
為替の変動相場制への移行から1992年のバブル崩壊までの約20年と考えました。この間に2度にわたるオイルショック、'85年のプラザ合意、アメリカ通商政策による日米貿易構造の変化等、戦後の敗戦国としての甘えは既に通用せず、先進経済国の一員としてふるまう事を海外から求められたその荒波に翻弄されながらも、日本のモノづくり産業は、前期の日本の復興期を支えた"技術の進歩とのCommunication"を発展させ、電機・自動車と云う2大産業を両輪に大きく事業を拡大する事ができました。為替は約200円/$と上昇しましたが、'89年末の世界時価総額ベスト30社のうち何と21社は日本の企業が占めていました。
しかし過剰流動性のつけは大きく、また、"技術"以外の多くのこと(金融などの他産業や社会的な環境、などなど)とのCommunicationに失敗して、バブルは間もなく崩壊し、東西ドイツの統一、ソ連邦の崩壊と世界が正にOne_World_Market移行する中、日本のモノづくり産業も次の期に入る事に成ります。
・「日本の成熟期」
‘92年のバブル崩壊から現在に至るまでを、いわゆる失われた20年と為替100円/$時代と捉えました。IT技術の猛烈な進歩が産業構造を大きく変えだした20年と云う事が出来るのではないでしょうか。IT技術の登場によって、日本の企業が相手としていたモノの内容が変質し、技術の中身も変化し、ユーザも複層化し複眼で見るように変化し、市場は国際化ではなくグローバル化で捉えることが当然となって、それまでの我が国流の"技術の進歩とのCommunication"では、対応できなくなった時代であると言えます。
ITの代表的企業Apple(時価総額No.1)、Google(時価総額No.4)、アリババ・グループ(時価総額No.10)、Facebook(時価総額No.21)は何れも※創業20年未満です。Amazon.comは創業時のコアー・コンピタンスは物流でしたがIT技術の成長を巧みに活用してクラウド事業に進出し、極めて短時間でクラウド事業No.1の地位を確立しました。
何故日本の電機セットメーカー、半導体デバイスメーカーがこの波に大きく乗り遅れたのか、筆者は明快な解を持ち合わせませんが、日本の電子デバイスメーカーの中にも元気な会社はあり、自動車産業も元気になって来ております。筆者には、そこに従来型の"技術の進歩とのCommunication"に止まらない何かがあると思えてなりません。
・「まとめ」
事業運営では、言うまでも無く、技術、組織、人材など多くの要素が上手く働かないといけませんが、IT技術の飛躍的進歩でOne_World_Marketとなってしまった市場で生き残り、海外においてもチャンスに変えていく経営を行っていくためには、改めて、当社が2本の経営の軸としております
「技術を生かす経営(技術とのCommunication)」
「人財を生かす経営(人とのCommunication)」
の大切さを噛みしめ、今年も社員一同さらに切磋琢磨し、お客様のご期待に応えて行く所存でございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します
※(Appleはipod発売の2001年を第2創業と考えました)